「おや、これは失礼を」
「こちらこそ失礼――ええと確か…」

 中庭を抜ける廊下で、一人の侍と僅かにぶつかった。
 謝ろうとしたけれど、名を呼ぼうとしたが出てこなかった。というより、相手の名を知らないかったからだ。
 面識が無い訳ではない。彼はテッサイ様に仕える侍で、機械化した腕の中には機械仕掛けの弓が備わっている。何よりもその全身は桃色を基と男性にしては珍しい――やたら目立つ風貌をしているため、その姿は一度見ればしばらくは忘れないだろう。
 それでも気付いてみれば、今まで彼の名を聞く機会は無かったのだ。

「ごめんなさい、名前をまだ聞いてなかったはず――」
 改めて名を尋ねようとしたところ、何故か首を横に振られた。
「俺の名は教えられませんよ」
「…え…?」
 意外な返答だ。別に敵対しているという訳でもないのに、名乗れないとはどういうことなのか。
 どういうことかと口に出さずとも当然相手も承知なのだろう、彼は肩をやや竦める。
「若様の姉君に対して、失礼だと思いますがね」
 …それに関しては、全く構わないのだけれど…。
 テッサイ様に仕える侍達には、私に対しては同等に接してもらって構わないと告げてある。というより、過剰にかしこまられるとこちらが困るのだ、とも。それでも、『ウキョウ』の姉である、というのが彼らにはそれだけで牽制になってしまうのだけれど。

「――教えられない訳、は?」
「気になりますか?」
「当たり前でしょう」
 即答すれば、相手は多少困ったような笑みを浮かべる。
「いやなに、貴女に名前を呼ばれるのは避けたいのですよ」
「……あの子ったら」
 彼の返答に、私は反射的に弟を思い浮かべて呟いていた。未だ言動に幼さ残す弟は、言ってしまえば道楽息子の典型的型にはまって成長していた。そのせいか、他者に対し――特に姉である私の事に関しては無茶を言う所がある。
 …機械の侍だけでなく、他の侍にまで…。
 ついごちると、しかし彼は「若様じゃありませんよ」と、わざわざ「偽りではなしに」とまで付けて返してきた。

 …ウキョウではない?
「――では、何故」
 つい訝しげな表情(かお)になった私に、彼は少し意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「惚れるからね」
 ――は? 

 恐らく今の私は、相当の間抜け顔になっているのだろう。
 私の反応に彼は楽しそうに笑っている。
 いやしかし、突然、惚れるからなどと言われても理解し難い。

「えぇと…」
 返答に困っていると、彼は簡単な事ですよと手をひらひらと振る。
「――『アンタ』の場合、若様の姉君という割には俺達に近い雰囲気(もの)があるからな、気をつけないと御前の御息女だというのを忘れそうになる。それに、『この前』のといい腕も中々良いから、つい手を出したくなるのさ。そこで直に名なんて呼ばれたりしたら、ますます…ねぇ?」
 口調を崩した彼の――警告にも等しい告白に、私はどう返答しようものかと言葉を詰まらせていた。
 するとふと彼の身を屈めるような動きが見え、顔を上げれば―――頬に軽く口付けられた。
「なっ!」
「やっぱり女だねぇ。隙だらけでしたよ?」
 咄嗟に身を引けば、彼は非常に楽しそうに肩をゆすって笑っている。
 どうやら、思いきりからかわれたらしい。 
 …しかし。

「そうね。今のはこちらが迂闊だったわ」
 気を取り直すようにして――なおかつ余裕を含ませ私は呟く。
 当然私の口調の変化に彼も気付いているだろう。
 だからこそ、
「でも貴方も、結構迂闊――よね?」
 横目で示す廊下の先、同じように視線を向けた彼は、「おっとぉ」と小さく呟き漏らした。
 距離のある廊下の奥には、こちらを見据えているテッサイ様のお姿。

「確かに。これは迂闊」
 参った参った。と彼は頭を掻く。
 ただその口調は、あくまで愉しそうではある。
「では、叱られる前に退散しましょうかね」
 軽い口調で踵返した彼に、私はふと思いついて問う。

「名前、やっぱり無いと呼び難いから、勝手に付けて呼ばせてもらってもいい?」
「お好きにどうぞ」
 背を向け歩いたまま、手をひらひらと振る彼に対し、私は僅かに間を置き、
「そう。じゃあ、ありがとう―――『桃弓(ももゆみ)』殿」
 そう呼べば、瞬間、彼が僅かに足を滑らせかけけたのを、私は見逃さなかった。
 けれど結局、彼が抗議に振り向く事は無かったので、私の中で彼の名前は、『桃弓』に決定した。












■ボウガン男です。
 口調が掴めませんボウガン男をどう呼べばいいのかと悩んだ挙句にこんな事になりました。
 桃色の弓使いで桃弓。そのまんまです。(…)


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